南の国の男、北へ '94晩夏 
〜 アフリカツインで駆け回った北海道ツーリング日記 〜

・Day_5

 '94/08/29

 目が覚めると、昨晩一緒にはしゃいだ仲間達の半数の姿がなかった。聞けば、納沙布に朝日を見に行ったとのこと。「鼻の効く」女の子は荷造りをしていた。登山用のどデカいバックパックにその他諸々のザック類。いったいどこにしまうのかと聞いたら、バックパックはスクーターの足元におくとのこと。大笑い&絶句してしまった。一人でスクーターで来るだけあって、ハンパじゃないわ(笑)。

「鼻の効く」女の子は、稚内市内で知り合いと会うとのことで先に出発して行った。さて、そろそろ自分も出発か...。ちょっとボロだったけど、楽しかった宿を出発。いよいよ、最北の地へ...。

 最北の地、宗谷岬にはあっけなく着いてしまった...。北の方を向けば、眼前には海が広がるのみ。樺太は見えない。礼文も利尻も見えなかったし、どうも離島には縁がないらしい(離島だけか?(爆死))。でも、とにかく来たのだ。最北の地へ。

 記念碑の前でお約束の写真をとってもらい、高台へ登る。展望台で一人、ぼんやり、北に向かって広がる景色を見ていた。2年前、訪れたくても訪れられなくて、ようやく見れたこの景色。もし2年前、ここに来れていたら、いったい何を考えたのだろうか。やはり今と同じように、何も考えていなかったかもしれない。なぜって? 2年前も似たような状況だったから(笑)。

 雪が降れば地元新聞の記事になり、雪が積もれば地元新聞の1面を写真入りでトップで飾るような南の国の生まれの自分が、今こうして、この国のいちばん北の地に立っている。ちょっと考えれば不思議なコト。生まれたところとは今、まったく反対側の場所にいるのだから。

 ずっと前から意識し始めて、バイクに目覚めてからはずっと憧れていた北海道。真冬の厳しいこの地のホントことを知らないから、好き勝手に観光客気分でいられるけれど、今は穏やかな表情を見せているこの北の海が、冬にどのような表情を見せるのか少しだけ気になった。

 しかし、こうやって一人たそがれているのも辛い。なぜって、アノ歌がまわりの土産物屋から大音響で流れて、最北端の雰囲気をブチ壊しにしているのである(笑)。そう、あの歌...。

 “リュウヒョオ〜 トォケテェ〜 ハァルカゼ フイテェ〜 ハマナス ユレルゥ〜 ソウヤノ ミサキィ〜”

 昔、ガキの頃、某国営放送の「みんなのうた」で流れていたあの歌。よもやご当地ソングになっているとは思いもよらなかった...(苦笑)。しかもエンドレスで聞かされるなんて...(爆笑)。いい加減にしてくれぇぇ!(しかしこの後、北海道から帰ってからも、のーみそに焼き付かされたこの歌にしばらく苦しめられるのであった(大爆笑))

“無料”というだけで入った、流氷博物館を「クソさみぃ〜」思いをして見た後、田舎と友人宅に電話。以下、その時の友人との会話。

 や:「おぅ、オレオレ。今、宗谷岬。」
 友:「なんだ、おめぇ。よりによってなんでオレなんだよ。」
 や:「うるせぇなぁ。オメェも知ってるクセに、改めて聞くんじゃねぇよ。」
 友:「そらそだな。ごくろーさん。ま、気ィつけて。あ、カニよろしく。」

 ...。電話するんじゃなかった...。良き友を持てて幸せである(苦笑)。

 さて、業務連絡(笑)も済んだし、ぼちぼち出発するか。そんなとき、駐車場に一台の車と、一台の見覚えのある原チャリ。あぁ、あの「鼻の聞く」女の子だ。ちょっと距離があったのでためらった。しかも向こうは知り合いと楽しそうにしている。

 おジャマ...かな。メットを被りなおし、ゴーグルをつけてまた走り始めた。

 海沿いを走るR238を南下。左手にはオホーツクの海。なぜ北の国の夏の海はこうも静かなのだろうか。田舎(宮崎)の海しかあまり知らない自分にとっては、結構新鮮。日向灘といわれるだけあってか、夏になるとヒマさえあればやってくる台風(笑)のため、穏やかな海というものがあまり記憶にない。

 道に任せてぼんやり走っていると、大きな荷物を乗せたミツバチ達がすれ違っていく。宗谷岬に向かっているのであろう。

「洗脳、されんなよぉ(爆笑)」

 ピースサインを送った。この時自分ののーみそのなかでは、まだ宗谷岬でのあの歌がエンドレスでかかっていた(大爆笑)。

 国道沿いのコンクリ工場のとなりにあった、青いキハ28。うわさに聞く食堂列車だった。そいや、おてんとさまが出ている時ってまともなメシを食っていないような気がする。話の種にウニ丼を食ってみるべぇ。バイクを止めた。

 先客にはおばちゃん達数名がいた。誰かが帰ってきた人らしく、話が盛り上がっている。娘のコト、東京のコト、その他諸々...、立ち(食い?)聞きするつもりはなかったが、容赦なく聞こえてしまう。そーいや、田舎でこのキハ28によくのったっけ...。そんなコトを考えながら、ウニ丼をむさぼっていた。

 腹がふくれると、いい加減、ダートが恋しくなってきた。枝幸の手前。枝幸の街を迂回するかのように林道があるらしい。枝幸といえば、ライダーハウスでは“枝幸YOU”が有名。急ぐつもりはないけど、有名ハウスに泊まるための旅じゃないし、まだおてんとさまは真上。走っていたかった。迷わず林道へバイクを乗り入れる。

 フラットなダート道はどんどん高度をあげていく。こんな道ではアフリカツインがたのもしい。スピードを出すつもりはなくても、いつの間にかメーターを見ると「おぉ!」というスピードが出ていたりする(笑)。

「うひょひょひょひょ〜」と怪しげな声をあげながら走っていると、ふと海側の視界が開けた。雲は多めながら、山越しに見えるオホーツク。そーいや、海の見える林道って、あまり走ったことないなぁ...と思いながら、ぼぉっと、遠くの海を見ていた。

 気を取り直して走り出す。林道の終わる手前、砂利の河原が道沿いに現れた。よせばいいのに足を踏みいれ、バランスを崩す。ウィンカーが曲がったので手で戻した(苦笑)。一段落し、バイクから離れ、そこの浅い小川をモトクロスブーツのまま歩き回る。ちょっと水が染みているような気もするが、まあいいか(爆笑)。小川を渡る風が気持ちよかった。

 歌登からまた林道を寄り道して美深、そして名寄へ。どうも「名寄」という文字を見ると「ちはるぅ〜」という文字が頭の中を走り回る(笑)。そんなとき口づさんでいるのは、松山千春だった。

#松山千春は“名寄”ではなく、“足寄”ですね(大爆笑)

 R239 で西興部村へ。地図を眺めていたら、「氷のトンネル」という文字が目についた。なんでも冬の間の雪渓がトンネル状になって夏でもそのまま残っているらしい(もっとも残ってるといっても、初夏くらいまでらしいけど...)。まぁ、話のタネにでも...と寄ってみた。果たして、氷のトンネルは崩れていた(苦笑)。だが、雪渓の大きな塊が点在し、北海道が北の国であるということを改めて気付かされ、残っている雪渓に触れると、当たり前のことだが冷たく、雪解け?水が流れ、ここだけ、時の流れが遅く感じられた。

「雪渓、アタマの上に落ちて来たらシャレにならんな...(笑)」

 隣接するウエンシリキャンプ場を横目に、そんなことを考えながら、この場所を後にした。

 R273 を紋別へ。そろそろ夕刻。今日の寝ぐらもなんとなくライダーハウスへ。いかんなー、ずっと一人で走ってるから、せめて寝るところくらいは...と思う自分が情けない。明日はキャンプしよ。

 そんなわけで泊まった紋別のライダーハウス。ここはいえばメシを準備してくれるのだが、なぜか近所のコンビニへ買い出し。買い出しから帰ってきたら、ハウスには誰もおらず、どうやらみんな食堂でメシを食っているらしい。まぁ、メシの前にみんなに挨拶でも...と思ったのがそもそもの間違い(笑)。

 みんなはメシを食い終わり、話好きな主人との懇談会になっていた。後から来たので、自己紹介。主人に酒をすすめられる。お酒を前にして拒めるような性格ではない自分が悲しい(笑)。そいえばメシ食ってなかったんだっけ...。

 酒の席、一人の女の子がいた。大学生で就職が決まったのでやっと北海道に来れたという彼女。話している内に、自分の出た大学にあるサークルと交流をもつ大学のコというのがわかった。自分はそのサークルではなかったのだが、学生時代、新歓期のサークルの元締めのようなことをやっていた自分。なぜか北海道で多摩地区ローカルな話が弾んだ。

 主人と話しているうちに、まわりのみんなはハウスへ戻っていく。しまった。逃げるキッカケを逃した、と気がついたのはかなり後だった(苦笑)。主人と酒を酌み交わす内、かなり酔いがまわってきた。メシを食わずに酒を飲んだのがいけなかったらしい。結局、最後まで残っていた彼女と後1名と一緒に、主人に挨拶をしてハウスに戻った。

 風呂に入ったら、血の巡りがよくなったのか、気分が悪くなり...。よもや北海道まで来てこうなるとはおもわなんだ(笑)。風呂上がり、倒れるようにダウンした(爆笑)。

 

                          (本日の走行距離、360km)

 

つづく

 


トップページへ / ひとつ上へ
inserted by FC2 system