夢を載せて走ったオートバイ

・C70/75 というオートバイ

C70/75 ...

 1957年発表。それまでのドリームSA/MEの空冷単気筒OHCエンジンに代わって、新開発の空冷2気筒OHC247ccエンジンを搭載(C70。C75は305cc)。デザイン面においても、この時期の国内他社が海外メーカーのモデルにそのデザインの範を求める中、故・本田宗一郎氏自らが加わったとされる“神社仏閣”スタイルと呼ばれるエッジを利かせたデザインで、ジャパニーズ・オリジナルを追求、新たなホンダのフラッグシップ車両となる。

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・C71/76 というオートバイとその派生モデル達   ... C71系の概略と諸元

C71/76 ...

 1958年発表。C70/75をベースにセルモーターを採用。使い勝手の向上に貢献した。出力面ではC70/75と変更はなかったが、この頃から対米輸出が始まっている。

CS71/76 ...

 1958年発表。C71/76をベースとしながら、高圧縮比化でCS71では20ps/8,400rpm、CS76では24ps/8,000rpmと高出力を達成。中でもCS76は最高速度145km/hと国内最速を誇った。なお、このCSシリーズは国内がロータリー式ミッションだったのに対し、輸出仕様がリターン式ミッションを採用する。

CE71 ...

 C71をベースにロングタンクとダブルシート、アップハンドルが与えられ、ツアラーとしての性格が与えられた対米輸出専用モデル。市販はされたが、その排気量やフレーム構成からか販売台数は伸びず(ホンダに限らず、概ね、アメリカではプレスフレームやボトムリンクサスは受けが悪かったといわれる)、希少モデルとなってしまっている。

CB71 ...

 C71系エンジンをベースに、初めてのCBの名を冠したスーパースポーツを目指して開発するも、180度クランクを採用して24psを発揮するエンジン対してプレスフレームでは剛性不足が発覚。市販までは至らず、パーツリストにその名前を残すのみとなっていたが、数年前、国内のマニアが残っていた部品で1台を組み上げた。

CR71/76 ...

 1959年開催の第3回浅間火山レース/第2回全日本モーターサイクルクラブマンレースへ出場する有力チームに対してごく少数が市販(というより貸与に近い)された市販レーサー。ギアトレインエンジンが発揮する高出力を受け止めるべく、パイプフレームが採用された。CR71はかねてより有名だったが、CR76は最近までその存在の多くが語られておらず、第3回浅間火山レースの結果に名前を残すのみである。

 ちなみに1958年開催の第1回全日本モーターサイクルクラブマンレースにおけるリザルトには250ccクラスにドリーム350ccクラスにドリーム305という車名を見ることができるが、当時の映像を見るとこれがカウル付きながらもCRの先行開発モデルらしい雰囲気が伺える(このへんはやへーの私見)。

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・C72/77 というオートバイとその派生モデル達   ... C72系の概略と諸元

C72/77 ...

 1960年発表。C71系に対してクランクまわりの部品点数削減やビッグエンドの大径化、12V電装の採用や潤滑系のウェットサンプ化等でさらなる耐久性の向上が図られたモデル。

 他のC70系やこの時期のホンダの例に漏れず、このC72/77も発売後の季節毎(!)といわれる仕様変更例も数多く、この後さらに、パイプハンドル採用のCII72CIII72C78と呼ばれるモデルや輸出モデルのCA72/77が登場する。

CS72/77 ...

 1960年発表。C72/77をベースにアップマフラーとダブルシートでスポーティイメージを演出。C71/76に対するCS71/76のような諸元上の向上は図られていない。

CB72/77 ...

 1960年発表。C72系エンジンをベースに高圧縮化やツインキャブの採用で当時クラス最高の24ps/9,000rpm(CB72)を発揮。また同出力ながら高速走行向けの180度クランクエンジンと日常の使い勝手に優れた360度クランクエンジンの2種類をラインアップし、幅広いユーザーに対応した。また、シャシー面でも初のダイヤモンド式チューブフレームやテレスコピックフォークを採用するなど、高出力エンジンを受け止めるものとなっている。

 派生モデルも数多く、ビジネスモデルとして1961年発表されたCM72(CB系フレームにC系エンジンを搭載。着脱可能なタンデムシートを採用)や、360度クランクエンジンにアップハンドルを採用した1962年発表のCBM72、またホンダ初の白バイ採用となるCP77などがあり、ヨーロッパやアメリカでも高く評価された。

 また、ヨシムラの故・吉村秀雄氏がCBの優れた素性を見抜き、卓越した技術でチューニングを施し、メーカーチームに対しても勝利を収めるなど見事な闘いを演じ、現在のヨシムラへの礎を築いたといわれるモデルでもある。

CL72/77 ...

 1962年発表。CB系エンジンをシングルクレドールフレームに搭載し、独特のスタイルを演出している左2本出しアップエキゾースト採用されたラフロード向け専用モデル。とくにアメリカで好評を得、CLシリーズの販売キャンペーンとなった“バハ・カリフォルニア半島縦断企画”は現在も続く“SCORE BAJA1000”シリーズの基となった。

CR72/77 ...

 1962年発表。DOHCエンジン搭載の市販レーサーで主に海外の有力プライベーター向けに販売されたと言われる。販売価格は500,000円(国内当時)とも言われ、生産台数も一説ではCR72:53台/CR77:16台(別の説ではCR72:54台/CR77:14台)といわれているに過ぎない。

 その姿はダイヤモンドフレームだった前期型こそ、フレームとケースまわりにCBの雰囲気が伺えるが実際は全く別物で、さらに後期型になるとフレームもフルクレドール化されるなど、純然たるレーサーの趣をさらに醸し出している。

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